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  • shigeru-nagai

◆チームブログ◆ 若い頃の激務と「日本一」実績

更新日:2023年7月26日


 本日は、若い頃の激務と実績について。


 私は、20代半ばの基礎習得の頃、この業界で生きていく為には、30歳になるまでに「日本一」の実績を何かしらでつくるように言われておりました。結論としては、これは何とか達成はしたのですが、そこに至るまでは大変な道のりであったというお話しです。


 遡ること20代後半、ある有名な大手企業様の協賛契約支援のプランニング業務に2年間、ガッツリ関わる事がありまして、当時に私が在籍していた会社は人が本当に少なく、皆が一人親方状態でしたので、下請け会社さんの幾分の支援はありつつも、ほぼ自分でコアな企画調査業務は行っていました。


 2年間の間、入館パスを預かり、朝礼・会議から社食で昼食までご一緒して、社に戻り企画・調査業務を行う日々で、家に帰るのは夕食と風呂と寝る為だけでした。激務も激務で、その大手企業様に深夜3時頃までBtoB提案前の書類の調整業務を行い、タクシーで家に帰り、風呂に入って、また戻るというのも覚えています。あれが重なり、一度、眼が見えなくなり夜間救急に駆け込みました。本当に激務でした。はい。


 この業務の際、その大手企業様と別の大手企業様の協賛契約が、倍額だったかと思うのですが増額契約が決定し、私は裏方で、その契約に関する企画調査を行っていた事もあり、私の方で行った あるエンターテインメント・ゾーンと看板キャラクターのバリエーション案も通りまして、実際、10年近くは形として残っていたのではないかと思います。


 また、このエンターテインメント・ゾーンにおいて、協賛をされている大手企業様のブランド接触や顧客獲得も行っていまして、これの試算も提案時にはしていましたが、カウントの結果、その通りの数字が取れたそうで、後々に聞きましたら、その協賛されている大手企業様にとっては「日本一」の獲得実績だったと耳にしました。


 そう!、何とか「日本一」、何かしらでも良いので「日本一」は達成したのですね。30歳を超えるまでに。


 プロダクトとして形に残ったのも嬉しかったですが、何でも良いので「日本一」が30歳になるまで達成したのも個人的には安堵した覚えがあります。取り敢えずのわかりやすい指標ではありましたので。


 私どもの業務は、どうしても裏方仕事になりますので、守秘義務の関係上、ハッキリとはお話しが出来ない事が多いのですが、20代後半のド激務と「日本一」の実績については、よう踏ん張ったよなぁと我ながら思います…。未だに眼はひきずってますね。年老いてから、片方の眼は症状が悪くなるだろうなと思います…。


 ただ、当時の激務、虎の穴、一万本ノックとも呼ぶような激務中の激務を乗り越えて、今の私があるようなものです。また、当時、その大手企業様に半常駐のような形式で内部をウロウロしていましたから、関係者の方には様々にご指導も頂きました(※たまに叱られてもいました)ので、企画や調査スキルが一段レベルが上がったのも事実であります。コンセプトやテーマ設定については、ここでの経験やご指導もあり、一段レベルが高くなりました。今でも感謝しております。


 現在、弊社で提供している調査サービスにつきましても、ここでの経験が多いに活かされています。私にとっては、当時、1万本ノックで培った調査業務と今も根幹は変わりがありません。


 何かしらお役には立てるかと思いますので、お気軽にメール等を頂ければと存じます。また、何かしらの一番に貢献が出来れば、プランナー冥利に尽きます。是非とも、宜しくお願い申し上げます。




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