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  • 執筆者の写真QSK代表

◆社長日記◆ 母の命日でした。

更新日:2023年8月9日


 8月5日は母の命日でしたので、お墓参りに京都府八幡市に行っておりました。


 私の祖父が、生前に大変親しくしていました善法律寺様に塔婆をお願いしておりましたので、お墓に塔婆を立て 母の生前の姿に思いを馳せながら 供養を 致しました。元々、私の母の供養は、こちらのお寺様にお願いしていたそうなので、私たちの代で元に戻せるなら 母も祖父母も喜ぶのではないかと思います。子や孫、子孫の代に至るまで 言い伝えておきたいと思います。



善法律寺様は、秋の紅葉のシーズンには大変美しい「紅葉寺」としても有名です。


写真は、こちらのサイト(京都フリー写真素材様)からお借りしました。





 また、主人の言うには、主人の母方の郷土のあたりに こうした歴史が残っているそうです。


 1282年(弘安5年)頃、京都の石清水八幡宮から下向した善法寺法印了清(平山了清)が、石清水八幡宮と関係が深かった大隅正八幡宮(鹿児島神宮)領の帖佐郷平山村の領家職として、一家眷族、僧侶、医者、大工、染師、土器師等873人を率い、帖佐郷に下向。八幡宮の分霊を勧進し、新正八幡宮創建。平山城を構築した。

 当時国分正八幡宮領の内、帖佐の大部分が社家の留守刑部の預所であったが、平山了清が代わって領知することになった。浜下りは帖佐へ下向した了清の京都からの苦労を偲び、松原海岸の浜まで巡行する御神幸祭である。

 新正八幡宮の祭事は しばらく途絶えていたが、17代藩主島津義弘公 帖佐在城の時(1595~1605)、関ヶ原合戦から無事に帖佐に帰国出来た御礼として「浜下り・御神幸祭」を再興した。

参考:
https://haradaoffice.biz/tyosa-hachiman/
https://www.kagojinjacho.or.jp/tanbou/1725/
http://zan35441.on.coocan.jp/sub26-2.html
◆追記 また、この平山城のすぐ隣に高尾城というのがあり、ここの稲荷社には、島津義弘公が明軍20万に包囲された時に助けてくれたという狐2匹の骨が埋葬されていたという話があります。

 主人の母方の祖先は、この地域にいた曹洞宗の僧の一族(※心岳寺の僧がいた話等)という話があり、ひょっとしたら、善法寺法印了清のご子孫の方々とも接点があったやもしれないねという話をしながら、善法律寺様とのご縁に感謝をしながら帰宅致しました。


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